京急蒲田エスカレーターに乗った。前に、白いリュックを背負った娘と、白い鞄を肩にかけた母親がいた。娘は思春期らしく、母親と距離を置いて歩きたがる。ふて腐れたような態度は、他人の私が見ていてもイライラした。服装も容姿も野暮ったい親子であった。

娘は、どんなにドライヤーで伸ばしても外側ではねてしまうであろう髪をかき上げた。

 

その手が、子どもの手だった。大人になっても変わらないであろう子どもっぽい手であった。実際に私は大人になってもこういう手の人を何人か知っている。指に対して大きく厚みのあるてのひら、全体的に丸っこく、先が細くなっていて、爪が小さく太い指、いつまでも汗っぽい皮膚、ともすればえくぼができそうな指の付け根。

指輪を三つしていた。どういうものがお洒落かを一生懸命調べて買ったのだろう。

カタツムリの角のような指に、指輪はまったく似合っていなかった。

 

私の手は労働者の手である。もともと地黒で、指は細くて長いが節くれている。全体的に手が大きくて薄く、血管が浮き上がって、乾燥している。昔からそうだった。母親は子どもだった私の手を「若さがなく汚い」と言っていた。その通りだ。何か、農業や製造業をしている手といった感じがする。この手を見れば、私の育ちが良いと思う人はいないだろうといった手だ。

 

私はアクセサリーがあまり好きではないが、時々指輪をしてみたくなる。似合わないことはわかっているのだが、華奢なデザインが好きだ。

だけど時々、成金のような指輪がむしょうに欲しくなる。商店街で1000円くらいで売っている、偽物の石のまわりにギラギラとダイヤを模した石がついているような、太い指輪。

とある雑貨屋で、それに近いものを見つけた。メッキで出来た、サイズも調整できる安物の指輪で、即購入したが、サイズがゆるすぎてつけていても落ちてしまう。いつのまにかどこかに行ってしまった。私は指のサイズが小さいので、市販のものは大体合わない。

でもあれをしているとき、何か秘密を持つ魔女のような、意地悪な年増女になったような気がして、嬉しかった。