いけすかない女がいる。

 悪い人でもないし、とりたてて美女であるわけでも目を背けたくなるような容姿であるわけでもない。

 何が気にいらないのかを考えた。

 

 人気が出るものは、キラキラしているものかヒリヒリしているものかのどちらかだと思う。ほのぼの枠もあるにはあるが、ほのぼのの後ろは大体キラキラかヒリヒリである。

 不遇な生まれや環境からコンプレックスを抱えて時には無様な姿を晒す、あるいはたとえ何不自由なく生まれていても転落に寄って行く人々は、ヒリヒリ。

 何もかも満たされていて感謝に満ちた日々を送り、それが創作や表現につながっている人は、ヒリヒリ。

 

 彼女はそのどちらでもない凡庸な人間なのだが、その時一緒にいる人間(大体多少有名な人)のタイプに迎合していくのだ。

 例えばヒリヒリタイプの人といるときは、自分もコンプレックスを抱えて暗い人生だった…と言い出し、キラキラタイプの人といるときは、自分もお嬢様育ちで人の汚い感情などとは縁がないタイプである、と言い出す。

 そのうえ、話はいつもつまらない。

 

 それで仕事を細々と取っているのだから、それが彼女のテクニックでもあるのだろうが、いつもなんとなく釈然としない。

 社会はそれなりのお世辞や迎合で機能している部分もあるし、コネや擦り寄りも使えるなら使えば良いと考えているのだが、彼女に関してはとにかくなんだか「いけすかないやつだな」という気持ちがぬぐえない。話がつまらないというところもそれに拍車をかける。

 家と家族とペットとブランドものを所有し、時間に縛られない仕事を選び、有名人の腰ぎんちゃくで仕事を取っている…という私とは真反対の上級民族に対しての個人的なひがみなんだろうな。あと顔が微妙なところが気に入らない。何もかも凡庸なのに自分がそうではないと精いっぱい主張している姿が醜悪だとも感じる。

 日頃は思い出さないが、ふとした時に現れて、「ああやっぱりいけすかないな…」と感じる程度のことなんだけど。

   ひるどき、地元に帰ってきて、ふとカレーを食べたくなる。

 何年か前に出来て評判の良い店があったはずだと足を伸ばす。

 ドアを開けると誰も出てこない。老婆の話し声が聞こえる。声を掛けると小柄な老婆がつんのめりそうになりながら出てくる。

 メニューやシステムがわからないのでただ座っている。ただひたすら座って待っているが、また誰も出てこない。老婆たちは奥で子どもの話をしているようだ。

 そこそこ評判の店だったので、意識の高い客が訪れていて、「これは何か、どういう効果か」などと質問をするが、老婆には全くわからない。シェフが国に帰ってしまったとかで、味だけは引き継いでいるかコンセプトはガタガタになっている。

 どうにかカレーにありついたが、ひどいオペレーションと雑な接客に思わず笑ってしまった。

 

 それからバスに乗って帰る。

 運転手は珍しく若くて、そこそこ感じも良い。

 見ていると、やたらとかっこつけて確認の手振りやアナウンスを行っている。

 バス好きが高じて運転手になったクチかもしれない。しかしそんなのも面白そうだ。

 

 帰ってきて犬とテレビを見る。満腹感が夜まで続く。このままだらだらと日曜の夜の中に沈んでいく。くだらないテレビを見て、お菓子を食べる。映画を観るか本を読むかもしれない。

 男は赤い顔をしていた。男のネクタイの先は皿の中に入っている。

 カウンターの中にいるもじゃもじゃした髪型の化粧の濃い中年女に向かって、「ママ、ママ」と呼びかける。

 女が「パパ」と呼べるマスターがいる店はないな、と考える。

 

 

 香港へ行く。

 キャセイの機体のグリーンは、香港の海の色に似ている。

 前回はずっと香港島にいたが、今回はほとんど九龍島にいた。

 

 朝起きて、町の定食屋で焼きそばを食べる。

 ひとりで入っても平気そうかと、おどおどした気持ちで店の中を伺っていたのは二度目までで、今はもうほとんど平気になった。

 昼、公園で鳥を見る。

 それから町のスーパーマーケットで買い物をする。

 お腹がすいたらそのあたりの定食屋で食事をする。

 ただそれだけ。

 

 香港はいい。

 西洋と東洋のデザインも、金持ちもそうでないものも、洗練も野暮も、すべてが大きな渦に巻かれてマーブル模様を描いているようだ。カラフル、パワフルという凡庸な形容すら飲み込んで、香港はひとつの大きな生き物のよう。

 

 今年は広東語を少し覚えたい。

 

 あ、あと、歯の矯正をしてみたい。もう少し仕事を楽しくしたい。

 昼食の時間に厳格にこだわり、中韓を否定し、男性社員はすべて女性社員を性的な目で見ていると執拗に言いつのる上司、気は悪くないが気がきかない、電話の取次ぎひとつ出来ない同僚たち、仕事ができないにも関わらず私の倍の給料をもらっている男たち、どれもこれもうんざりしている。

 香港に行ったらすこし元気になった。

 

 今回買って帰ったのは、赤い的士のミニカー。

 犬はいつまでも赤ん坊のようだ。

 お尻をすこし私にくっつけて、小さい体をかすかに上下させて眠っている。

 見ていると胸が苦しくなるような悲しいような気持ちがこみ上げてくる。

 

 携帯を買い換えてから家のwi-fiとの接続がうまくいかなくなった。前回もそうだった。家に殆どいないというのもあるが、10年も前のルーターを横着してそのまま使用している。検索すると、おそらくセキュリティ方式が古いせいだと出たが、このルーターはその方式にしか対応していない。

 ソフトウェア更新がないかと公式を開いたら、つい3日前にアップデートが出ていた。早速更新して、繋がるようになった。

 

 立派な人や素敵な人がたくさんいて、自分はほんとうにつまらない人間だなと思う。

 才能もない、好きなこともなく、努力もできない。

 何もかもうまくできない。

 それなのになぜ生きているのだろう。

 おそらく人間は個ではなく、すごく長い時間の中の、何か大きな流れのひとつなのだろう。大きな何か。私のようなエラーも含めて、多くの粒が蠢いて、そしていつか消えるのだろう。辛い個体と辛くない個体がいるだけなのだ。

 ああ、つまらない。